世界はそれを逃避と呼ぶんだぜ
若者の課金離れ
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陽一

Author:陽一
返事がない。ただの中二病のようだ。
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けいおんSS。
唯和ちゅっちゅ。


「機械みたいに」

 機械になりたい、と切に思う。
 そうすれば、この気持ちもきっと、上手くコントロールできるだろうから。

* * *

「むー……」
 授業と授業の合間の休み時間。ざわつく教室の中。
 先ほど数学の授業で出された問題の解法を、忘れないうちに復習してしまおうと思い、ノートにペンを走らせていると……子犬みたいなうめき声がした。
「どうしたのよ、唯?」
 唯だった。私の前に屈んで、顔だけ机上に乗せている。不満そうに唇を尖らせながら、上目遣いで私を見る。
「……最近、和ちゃんの付き合いが悪い気がする」
「そう、かしら?」
 私は、平静を繕ってそう返す。唯は、柔らかそうな前髪をかき分けながら、そうだよと頷いて、
「和ちゃん、最近部室に誘っても来ないし……一緒に勉強しようっていっても、来てくれないし……宿題教えてくれないし……」
「……唯のそれは、サボりたいだけでしょうに。勉強くらい自分でやりなさい。もう受験は近いのよ?」
「え、ぇえ~」
 ――今は三年生の初夏。こんな言い訳は、不自然ではないだろう。きっと。
「でもでも! やっぱり、最近は和ちゃん、付き合いが悪いと思うよ。何かとつけて、すぐ生徒会生徒会って……ひどいよ、妻の私よりもお仕事のほうが大事なの!?」
「妻って何よ、妻って」
 が、今日の唯は珍しく食い下がってきた。むむむ、と眉をひそめながら、少し心配そうに聞いてくる。
 ……最近、自分でも無意識のうちに、唯を遠ざけていたんだろうか。少し反省する。
 ここでとるべき言い訳は――
「でも……言われてみれば確かに、無意識のうちに付き合いを悪くしちゃってたかもしれないわね」
「え、ええっ!? わ、私、和ちゃんに何か怒られるようなことしたっ!?」
 一気に半泣きになる唯に、違うわ、と苦笑しながら返す。
「ほら、唯だってどんどん忙しくなってきてるでしょう? 私も軽音部の面々と長く付き合ってきて、そういうのが分かるようになったのよ。夏休みは合宿があるだろうし、夏休みがあければ文化祭があるし、練習大変でしょ。……だから、唯に遠慮しちゃってたのかもね」
 言い訳は、よどみなく口をついて出た。自分でも堂に入ったものだ、と思う。
 決して嘘ではない。だが、全て真実を話しているわけでもない。
 ――誤魔化すときのコツは、よく言われていることだが……言葉の中に、一握りの真実を入れておくことだ。
「えー、そんなことないよー、軽音部はいっつも暇だよ!」
「……いえ、そんなことを誇られてもコメントしづらいんだけど」
 ふんす、と鼻息荒く言う唯に苦笑する。
「それに、私もそろそろ引退だから……後輩への引き継ぎも考えなきゃいけないし、大変なのよ」
「えぇ~、また生徒会~?」
 ぶー、と唯が不満そうに頬を膨らませる。
「ごめんね。夏休みになれば、時間ができると思うから……そのときにまた、連絡して?」
「…………」
 と、そのとき、三限目開始のチャイムが鳴った。次の授業は現国だ。
「ほら、唯、授業始まるわよ。そろそろ期末試験近いし、ちゃんと聞くのよ?」
「うん…………」
 唯は、渋々と言った感じで立ち上がる。
 それから一瞬だけ、……懇願するような目線を私に送ってきて、
「……寂しいなぁ、和ちゃん」
 そう、ぽつりと言った。
 私は何も答えずに、ただ微笑みを返しておいた。

 きっとそれは、表面の汚さを隠すために撒かれた金メッキのように――自然な笑みに見えてくれたことだろう。

* * *

 パソコンが欲しい、とずっと思っていた。
 そうすれば、膨大な議事録を手書きで書き写す手間が省けるし……物事を、もっと簡単にまとめられる。
 理知的に。冷静に。簡潔に。簡素に。
 無感情に。
 余計な想いにとらわれることもなく。

 夕暮れ時の生徒会室――
 七月期の部長会議が終わって、集められた部長達が帰ってしまうと、一気に部屋は静かになってしまった。
 今度の工事でクーラーが各部室に設置されるらしい。生徒会室の窓は立て付けが悪く、熱気がこもってしまうことが多々あったので、クーラー設置は非常にありがたかった。……まあ、できることなら私が卒業する年じゃなくて、もっと前に設置して欲しかったけれど。
 やれやれ、と伸びをしながら、会議で使われた書類をまとめる。
「会長、まだ残るんですか?」
 と、まだ教室にいた後輩が声をかけてきた。私はええ、と頷いて、
「もう少し議事録をまとめてから帰るわ」
「あ、じゃあ私も――」
 そう言いかけた後輩に、首を振る。
「大丈夫よ。もうすぐテストだし、早く帰って勉強しなさい。私が残ってやっておくわ」
 そう言うと、後輩は少し申し訳なさそうな顔をしながら、
「でも会長……最近、仕事してばっかりで……疲れたりしてないんですか?」
「え? ……そう、かしら」
 そうです、と後輩は頷く。
「ふつう、後輩にやらせるような仕事まで、居残ってまで自分でやっちゃうから……」
「ああ、ごめんなさい、逆に気を遣わせてしまったかしら。別に気にしないでいいのよ、そういうのが好きで会長やってるんだから」
「…………」
 後輩は、不意に黙り込んだ。何か考えているようだったので、少し待っていると、
「……その、違ってたらごめんなさい。会長、何か……その、悩みとか、あるんですか?」
「え――」
 躊躇いがちに、上目遣いで言われたその言葉に、思わず言葉を失ってしまう。
 その仕草が、何故か先ほどの唯とかぶって――思考が停止する。
 ……けれどもそれは一瞬のこと。すぐに私の頭はフル回転をはじめて、適切な言い訳を考え始める。
「実を言うと、少しね、勉強が行き詰まってて。ほら、生徒会の仕事って、ほとんどルーティンワークでしょう? だから、気分転換にちょうどいいのよ」
「あ、そうなんですか」
 そう言うと、後輩はほっと胸をなで下ろしたようだった。
 勉強なんて行き詰まっていない。成績も、ある程度自由に指定校推薦がもらえるくらいには、優秀であると自負している。
 本当に、嘘が上手くなったものだ、と内心で自嘲する。
「会長、何だか自分のこと追い込んでるみたいだったから……ちょっと心配しちゃって。ごめんなさい」
「ううん、気にしないで。そういう風に見せちゃった私が悪いんだし。……そうね、今度から気をつけるわ」
「はい」
 ……これ以上気を遣わせては申し訳ない。今日は素直に退散しよう。
「けど、確かに少し無理してるのかも。今日は私も帰ろうかしら。議事録は、家で落ち着いてからやるようにするわ」
 はい、と後輩は笑顔で頷いた。

 後輩と二人で帰りながら、私は自戒した。
 悩みがあるのか、と指摘されたのは不覚だった。
 自分の中で、想いが高まりすぎて……それをルーティンワークで誤魔化すために、生徒会の仕事を請け負いすぎていたようだ。
 ――内心は、完璧に包み隠さなければならない。
 メッキというのは、どこから剥がれてしまうか分からない。普段の生活から気をつけていなければ。
 ああ、と思う。
 機械になりたい。
 機械みたいに、簡単に自分の心を整理できたら楽なのに。

* * *

 廊下を歩く。
 放課後の廊下には、窓から橙色の混ざった光が射し込んでいる。古い校舎の作りと相まって、どこかノスタルジックな感情を引き起こさせた。
 行き先は軽音部だ。今度こそ、文化祭に遅れないよう、律に講堂使用届けを出させようと、釘を刺し来たのだ。まだ夏休み前ではあるが、律のずぼらな性格を考えると、早すぎることはあるまい。
 階段を上って、音楽室へ。階上からは、思わず気圧されるような生の演奏音は聞こえない。おそらく、また休憩と称してお茶を飲んでいるのか。まあ、ちょうどいいと言えばいいのだけれど。
 音楽室の前まで来ると、私は躊躇なくドアを開いた。
「律、いる――」
「あっずにゃーんっ!!」
 私の声をかき消すように響いたのは、唯の声だった。
 音楽室の中心で、唯があずにゃん――こと中野梓ちゃんに抱きついていた。
「……や、やめてください唯先輩っ! ほ、ほら、和先輩がいらっしゃってますよ!!」
「あ、ホントだー。やっほー、和ちゃんー」
 唯は私に気づくと、梓ちゃんに抱きついたまま……手を振ってきた。

 ――思考に、ノイズが走る。
 強烈な感情が発露しそうになる。
 ダメだ。いけない。押しとどめなくちゃ。
 イメージは機械のように。歯車を回して、事務的に、冷静に、己の感情を鎮めてゆく。
 ――ゆっくりと。内心を、落ち着かせてゆく。

「唯、やめなさいな。梓ちゃん、いやがってるわよ」
 ようやく発せた声は、うわずった様子もなく、上手く平坦に出せた。きっと、呆れたように聞こえてくれるだろう。
「えぇ~、そんなことないよ~、あずにゃんこんなに可愛いんだもん~」
「ぜ、全然理由になってません! やめてくださいってば、もうっ!」
 ぐぐぐ、と梓ちゃんが唯を引きはがす。あうぅ、と不満そうな顔になって、唯は渋々梓ちゃんから離れた。
 ……体の奥深くで、ほっと息を吐く。
「あの、それで、先輩……何かご用でしたか。すみません、お邪魔してしまって」
 ぺこりと梓ちゃんが私に頭を下げてくる。申し訳なさそうに、非常に丁寧な言葉遣いで。本当に礼儀正しい子だ。こんな子に、悪意なんて到底抱けそうにはない。
「いいえ、気にしないで。もう慣れたわ。……あなたも大変ね」
「はぁ……」
 お互いに、しばし苦笑を交わし合う。
「和ちゃん、とうとう軽音部に入ってくれる気になったの!?」
 と、唯がこちらに駆けてきて、にこにこ笑顔を私に向ける。
「違うわよ。今の時期から入ったってどうしようもないじゃない。……部長さん、いる?」
「律っちゃん? 律っちゃんなら奥に――」
「おー? 和、何か用かー?」
 唯が背後を指さすと、律の声がした。奥のテーブルでケーキを食べているようだ。その隣には、澪とムギもいる。
「律、今のうちに文化祭の講堂使用届け、出しておきなさい」
 私は奥に向かいながら言う。
「えぇ!? 今から……!? さすがにまだいいんじゃないか?」
「ダメよ。そう言って何度も何度も忘れたでしょう、あなた。今のうちに書いておきなさい」
「えぇえー……」
 心底めんどくさそうに律は表情を歪める。
「……澪、よろしくね」
「ああ、今度こそ書かせておくよ」
 澪に声をかけると、彼女は一も二もなく頷いてくれた。頬には笑顔が浮かんでいるが、その目は笑っていない。澪もこの三年間、さんざん煮え湯を飲まされたのを知っているからだろう。それを見て、うへーと律がげんなりした顔になる。
 テーブルに必要書類を置いて、それじゃ、と私は踵を返した。
 ムギがお茶とケーキを勧めてくれたけれど、謹んで辞退した。唯が寂しそうに私を見たけれど、まだ仕事があるから、とすぐに音楽室を出て行った。
 ――あんな場所に、これ以上いられなかった。
 音楽室は、軽音部の部室。
 唯と、その仲間達のための部屋だ。
 部外者である私は、きっと長居なんてしてはいけない。
 私は、私の巣に帰らなくちゃ。
 ぱたん、と音楽室のドアを閉じると、不意に……脳裏に、唯が梓ちゃんを抱きしめていた映像が浮かぶ。
 首を振っても、何度も何度もフラッシュバックする。
 ああ。嫌だ。煩わしい。厭だ厭だ厭だ――。

 機械になりたい、と切に思う。そうすれば、システムからこの感情を、デリートしてしまえるのに。
 もっと、スマートに生きられるのに。

* * *

 夏休み前の期末テストが始まった。
 前期の成績にダイレクトに響く、非常に重要なテストだ。一応受験はしようと考えているけれど、推薦も視野に入れてはいるので、できる限り上位をキープしておきたい。 
 勉強は行き詰まってはいないが、怠けてしまっては成績は右肩下がりに落ちる。生徒会の雑務と並行して、毎日夜遅くまで復習に精を出した。

“う~~~~~ん……………………んんんん………………”
 テスト中は、背後から常に唯のうめき声が聞こえてきた。
 今回は、普段と違って唯に勉強を教えなかったため、苦労しているらしい。
 それに少し申し訳なさを覚えながら、私は問題をすらすらと解いていった。

 一日目、二日目――と順調に進んでいって、テストとテストの合間も、勉強を怠ることはなかった。
 そして三日目……はさすがに少し辛かった。睡眠不足の体に鞭を打ち、学校へと向かった。
 それでもテスト中は集中に集中を重ねて、ペンを走らせていった。
 ようやく、三限目のテストが終わり――

「――終わったぁああ……!!」
 短いHRが終わって解散となると、背後から何とも気の抜けた声がした。
 振り向くと、軟体生物にでもなってしまったような唯がそこにいた。
「お疲れ様」
「うぅう……和ちゃんパワーがなかったから、すっごく辛かったよぅ……」
 へにゃへにゃと力のない声で、唯は言う。
「なによ、“和ちゃんパワー”って」
「和ちゃんパワーは和ちゃんパワーだよ! 勉強とかー、宿題とかー、和ちゃんの力がないと、私はやっていけないのです!」
 ふんす、と力強く後ろ向きなことを言う唯。はいはい、と適当にあしらっておく。
「ねー、和ちゃん」
 と、唯が机に突っ伏しながら、上目遣いで私を見る。
「なに?」
「今日、試験終わった記念に、どこかに寄ってこーよ。さすがにテスト明けなら、生徒会ないでしょー?」
 ……確かに、さすがにテスト明けから生徒会はない。ないから、行くことはできる。
「でも、唯は軽音部があるでしょう」
「ないよ! 今日はフリーだよ、フリーダムなんだよ和ちゃん!」
 ふふふ、と嬉しそうに唯は言う。
「だから、行こうよ。ね?」
 屈託なく笑いかけてくる唯。
 私は――
「――遠慮、しておくわ。ちょっと今日は家の用事があって」
「ええー。それって、今日やらなきゃいけない用事なのー?」
「そうよ。悪かったわね」
「……どんな用事?」
 と、唯が珍しく食い下がってきた。目線に責める様子はなかったが……寂しそうな光が宿っていた。
「……用事は、用事よ。兄弟達の面倒とか、見なくちゃいけないし」
「いつもそんなことやってないのにぃ」
 痛いところを突かれた。唯の誘いを断ったことは多々あったが、家の用事があるから、という言い訳は確かに初めてのことだった。
「……あとは、その。テストの復習とかあるし……」
「そんなの、夜でもできるよー」
 今日は生徒会がない。唯も軽音部がない。
 唯の誘いを断る理由付けのしようが……ない?
「……なんだか和ちゃん、最近変だよ」
 ぽつり、と唯が言った。
「へ、変って、どこが……」
「上手く言えないけど……いつもの和ちゃんらしくないよ」
 変。ヘン――
 ……まさか、気づかれてしまったのだろうか。精一杯自然に振る舞っていたはずなのに。
「ねえ、和ちゃん」
 どくん、どくんと鼓動が激しくなる。
「私、やっぱり和ちゃんに、何か嫌われるようなこと……したのかなぁ」
 私は、私は機械に――
 機械のように――
 理路整然と――

「違うって言ってるでしょう」

 ぴた、と唯の動きが止まった。
 怒鳴りこそしなかったものの、私の口からついて出た声は、確かな怒気を孕んでいた。かつ、ドライアイスみたいな冷たくて乾いた口調だった。
 それはたぶん、“嫌われるようなことをしたか”という問いに対して、……肯定に捉えられるのに十分な圧力を持っていた。
「の、和、ちゃん……?」
 唯が呆然と私を見上げる。その瞳には、みるみるうちに涙がたまっていって――
「……帰るわね」
 私は鞄を持って立ち上がった。幸いにも、私たちの会話は誰の耳にも届かなかったらしく、注目を浴びることはなかった。
 早歩きで教室を飛び出す。
 脇目も振らずに、廊下を歩く。
 なのに、どこか体がふわふわとしている。しっかり大地を踏みしめているはずなのに、四肢にあまり力が入らない。まるで自分が幽体離脱して、少し後ろから自分の体を眺めているみたいな気分だ。
 そのくせ、耳鳴りが酷い。キリキリと頭痛もしてきた。脳内を響き渡る、先ほどの私の冷たい台詞。まぶたの裏には、唯の悲しそうな顔が張り付いている。
 ああ。何なんだろう、これは。
 私は機械のはずなのに。機械になるよう、意識してきたはずなのに。
「あ、和さん――」
 と、廊下から耳慣れた声がした。
 そこにいたのは、憂だった。いつの間にか、階段を下りて下の階に来ていたらしい。まだ先ほどの出来事を知らないのか、笑顔で私に声をかけてくれた。
 憂。唯によく似た、彼女の妹。
 だからその姿に、どうしようもなく唯がかぶって――
 だから、私は――

 不意に。
 ぐるん、と視界が反転した。

「のっ、和さんっ!?」

 重力の感覚がなくなって、
 気づけば私は、床に沈んでいた。
 意識が、遠くなる。
 憂の驚いた顔だけが見える。
 視界がブラックアウトして――

 そのとき私は、当たり前のことに気がついた。
 機械は、確かに何の感情も持つことなく、理路整然と物事を処理する。
 だけど、機械でもエラーをため込めば……故障してしまうのだ。

* * *

 ――平沢唯のことを考える。

 3-2組の教室、私の後ろの席にいる平沢唯という女の子。
 出逢いは幼稚園のとき。気づいたときには、彼女は私の側にいた。そのうち、家が近くにあることが分かって、お互いよく遊ぶようになって、小学校中学校と一緒に歩んで――
 正直、迷惑をかけられてばかりだったと思う。彼女から、私の人格形成に役立つ要素を何か与えられたかと言えば、首をひねらざるを得ない。
 だけど不思議と彼女のことを嫌いにならかったし、離れる気にもならなかった。
 いつしか、“私がいなければこの子はダメなんだ”、なんて母親みたいなことを考えてしまうようになった。

 そのうちに、高校生になって。せっかくだから何か部活をしたらどうか、という私の提案に従い、唯は――軽音部に入った。
 軽音部に入ってからの唯の毎日は、明らかに違っていた。無気力だった中学生までと違い、唯は第三者から見てもはっきり分かるくらい、輝き始めていた。
 元々、一つのことに熱中すれば周囲が呆れるくらいのめり込む性格なのだ。どんなに練習しようと果てがない、“音楽”というジャンルは、彼女にとって天職といってもよかった。
 唯は自分の情熱の注ぎ口と、素晴らしい仲間達を手に入れた。

 そして、私は要らなくなった。
 だって、唯はもう一人だって歩いていける。音楽は素人の、私でも分かる。彼女には才能がある。その頭角を、めきめきと現しつつある。
 その気になれば、ギター一本で何だってやってみせるだろう。ひょっとしたら、プロデビューも夢ではないのかもしれない。
 あの子は、きっとそういう子なのだ。
 だから――私は要らないのだ。

 いざ、唯が私の手元から離れて。
 本当は、唯が私に支えられていたのではなく。
 ――私が唯に依存していたのだと気づいても。
 彼女を引き止めるなんてこと、私にはできない。

 だって、唯がどうしようもなく好きだから。
 ……好きな人の重荷には、なりたくない……

 ………………………………。

* * *

 目を開けて視界に飛び込んできたのは、見慣れた自室の天井だった。
「ぅ……」
 体を起こそうとして、四肢にうまく力が入らなかった。ひどく、だるい。まるで自分の体ではないようだ。頭が刺すように痛く、顔が熱い。思考が上手く働かない。
「ああ……私、倒れて……」
 ゆっくりと、頭の中の記憶をたどる。最後に見た光景は……そう、学校の廊下……驚いている憂の顔だ。
 その前に、唯に……厭なことを言って……
 ……ずきり、と頭が痛む。
 しかし、一体どうして倒れてしまったのだろうか。ここ数年、いたって健康体だったというのに。何か、突発性の奇病にでもかかってしまったのだろうか。
「疲労だってさ、和ちゃん。疲れてるのに無理したから、一気に高熱が出たんだって」
 ベッドのすぐ側から、誰かの声がした。
「……ゆ、い?」
 力を込めて、わずかに上半身を浮かせると、ベッドの傍らに唯が座り込んでいた。
「あ、あ、起きちゃダメだよ」
 唯は慌てたように言うと、私の体を押して再びベッドに寝かせる。
「お医者さんは、しばらく安静だって言ってたよ。だからゆっくり寝てて。テストも終わったんだし、ね?」
「…………」
 唯の柔らかな声は、心地よいはずなのに――今は辛かった。
「……今、何時?」
「三時。あ、三時って言っても夜のほうだよ。和ちゃん、倒れてからずっと寝てたから」
 言われてみれば、カーテンが閉められた窓からは、光が少しも射し込んできていない。部屋の明かりは、豆球――オレンジ色の小さな光だけだ。
 なのに唯がすぐ反応してくれた――ということは……彼女はずっと起きていたのだろうか。
「……こんなに遅くなったら、憂が心配するでしょう。早く帰りなさい、唯」
 言葉を放つたびに、ずきずきと頭が痛む。
「んーん、憂にはちゃんと言ってきたよ。今日は和ちゃんのところにずっといる、って」
 唯は、何でもなさそうに言う。
「あ、軽音部のみんなもお見舞いに来てくれたんだよ。ほら、これ」
 と言って唯は、ベッド側のチェストに置かれた、果物セットを持ち上げて私に示した。
 ――けいおんぶ、という言葉が、私を射抜く。
 あたまがいたい。体がだるい。思考がおぼつかない。
 ああ。だめだ。今まで保っていた理性が、決壊しそうだ。
 わたしは――
「――どうしてよ」
「? なにが?」
 私は両腕をクロスさせて顔を覆った。唯に見られないようにして。
「どうして、唯は、私なんかを構うのよ」
 回路に一滴の水を垂らされた機械が、一息にショートしてしまうように。
 言葉は、次々とあふれ出てきた。
「唯は、私なんて要らないのよ。ようやく大切なものを見つけて、輝ける舞台を手に入れて――あなたはそのまま、脇目もふらずに進むべきなのよ。軽音部のみんなと、梓ちゃんと――そこに私は要らないのよ」
 次々と、私は唯に言葉をぶつける。
 それが、何よりも自分を切り裂くナイフだと知っていながら。
「だからもう、私に――」
 構わないでよ、と弱々しく叫んだ。
 ぐずぐずと涙が出てきた。ああ。泣くのなんて何年ぶりのことだろう。涙を流す、という行為が、こんなに煩わしいということをすっかり忘れていた。
 情けない。こんな姿を唯に見せてしまうなんて。一生の不覚だ。
 このまま、この情けない姿に幻滅してくれないだろうか。今すぐに、ここから立ち去ってくれないだろうか。
 嫌いになってくれないだろうか。
 ――嫌いにならないでいて、くれないだろうか。
「……そっかぁ」
 長い沈黙のあと、唯がぽつりと呟いた。
 それは、何故か……
「……わたし、和ちゃんに嫌われることしたわけじゃなかったんだぁ」
 安心しきった口調、だった。
 それに、どうしようもなくイライラした。
「嫌ってなんか、いないわよ、……でも、嫌って、欲しいのよ……」
 その言葉はずいぶんと支離滅裂だった。でも唯は馬鹿にしたりなんかせず、
「ううん。わたし、和ちゃんのこと、大好きだよ」
 彼女の手が、顔を覆っている私の手を――そっと、握ってくる。
 温かい手。どんな氷でも溶けてしまいそうなくらいの。
 好きだという言葉。それが素直に感じられたら、どんなに嬉しいだろう。
「……だから、辛いのよ。そんな風に、中途半端に夢を見させないで……っ。あなたはもう、私なんかに構わないで、一人で進むべきで――」
「和ちゃん」
 と。私の言葉を遮るようにして、唯が言った。
 とても、寂しそうに。
「……わたし、和ちゃんがいないと何もできないよ?」
「え……?」
 腕をどかして、涙で歪んだ視界を開く。そこには、私をのぞき込む……遠慮がちな唯の笑顔。
「勉強だってできない。忘れ物だってしちゃう。お休みの日は、和ちゃんといないと退屈で死んじゃう」
「……そんな、こと……」
「あるよ。和ちゃんがいないと、嫌だよ。和ちゃんがいないと、何もできないよ。……一人でなんて、絶対に無理だよ……」
 ぎゅう、と私の手を握る唯の力が強くなる。すがりつくように、握り込んでくる。
「ゆ、い……」
 その言葉は、嬉しい。熱なんて忘れてしまうくらいに。
 でも、――やっぱり、ダメなのだ。私は唯の側にいられない。
「――好きなのよ」
「え?」
 言って、しまった。
 ついに、後戻りのできない領域にまで踏み込んでしまった。
 それでも、もう立ち止まることなんてできなかった。
「好きなのよ、唯のことが。……友達としてじゃないわ。恋人になりたい、っていう“好き”なの」
 私は再び腕で顔を隠した。唯がどんな表情を浮かべているか、知りたくなかった。
「軽音部に唯が熱中してるって分かったとき、すごく後悔したわ。唯が私といてくれる時間が少なくなる、って。……生徒会に入ったのは、仕事をいっぱいこなして唯のことを考えなくしようって思ったからよ」
 熱に浮かされたように、次から次へと言葉が出てくる。
「唯と一緒にいたいの。でも、一緒にいたらダメなのよ。だって――」
 この想いが、溢れ出してしまうから。
 だから一緒にいたくなかった。
 大好きだから、唯と離れていたかった。
 ……嫌いになって欲しくないから。
「だから、唯……もう、私に構わないで。はっきり、嫌いって言って……」
 気持ち悪いでしょう、と。
 親友を、――女の子を好きになってしまった私は。
 どうしようもなく、気持ち悪いでしょう。
 だから、私のことを嫌いになって。
 ……嫌いにならないで。
「和ちゃん――」
 ようやく放たれた唯の言葉は。
 過分に、呆れを含んだ言葉だった。
 ……ああ。やっぱり。そうよね。そうに決まっている。ずっと親友だと思っていた幼なじみにそんなこと言われれば、呆れるに決まって――
「――気づいてなかったんだ」
「……え?」
 唯が、驚くほどの力で、私の顔を覆う腕を押しのけてきた。そして、ずいとベッドの上にあがり、マウントポジションのような姿勢になる。
 そして、そのまま――
「ん……むっ、」
 ――顔と顔が近い。
 目を閉じた唯の顔が、すぐ目の前にある。
 唇が熱い。柔らかい。いい匂いがする。
 なのに、体がふわふわと落ち着かない。
 何をしているんだろう。幻覚でも見ているんだろうか。
 これは、
 これは、
 ――キス、している?
「……ぷはぁっ」
 ずっと息を止めていたのだろうか、唯が顔を離した。それから、まっすぐに私の瞳を覗き込んで、
「分かって、もらえた?」
「……ゆい、どうし、て……」
 まだ分からないの、と唯は困ったように笑う。
「わたし、和ちゃんのこと好きだよ。私も和ちゃんと恋人になりたいよ」
「……なんで、だって、ゆい、けいおんぶ――」
「軽音部は好きだけど、和ちゃんと比べたりするものじゃないよ。……私がギター弾くところ、和ちゃんにずっと見てて欲しいんだ」
「……だって、けいおんぶには、梓ちゃんが――」
「あずにゃん?」
 そこで、唯は驚いたように眉を持ち上げた。
「……あずにゃんは、可愛いから抱きついてるだけだよ?」
「え……だ、だって……」
 ……だって、と続けようとした言葉が、告げなくなる。
 そういえば。平沢姉妹は、昔からよく人に抱きついていたっけ。それは、梓ちゃんに限らずに。梓ちゃんの友達の鈴木さんにも、軽音部のムギにも、……あとは、私にも。
「……あ、ひょっとして和ちゃん、ヤキモチ焼いてくれたんだぁ」
 ふにゃふにゃと唯は微笑む。
 ヤキモチ? 私が?
「え、それは、その、……そうじゃ、なくて……あれ、え、ええ……?」
 訳が分からない。一体何がどうしたのだろう。
 私は唯が好きで、だけど唯も私が好きで――あれ、それじゃどうなるんだろう。なんだろう。二人ともお互いが好きなら、それは相殺になるんだろうか? アルキメデスが地動説で、ジョンロックがビートルズで――
「和ちゃん、大好き」
 唯はもう一度そう言うと、……再び、キスしてきた。
 びっくりするくらい柔らかな感触に包まれて。
 私は――

「………………ぅぅん」
 意識が遠くなった。

 沸騰でもしたみたいに、頭がぐつぐつと煮えたぎっている。
「のっ、和ちゃんっ!? しっかりして、和ちゃん――っ!!」
 唯の声が遠くに聞こえた。

 ――ああ、かみさま。
 これは、夢なんでしょうか……?

* * *

 結論から言うと、夢ではなかった。

 次に私が目を覚ましたときは病院の一室で。
 私はベッドに寝ていて。
「あ、和ちゃんおはよー」
 ベッドの側には、椅子に座った唯がいた。
「…………ここは」
 ゆっくりと体を起こす。腕には点滴が繋がれていて、そのせいか体調はかなりよくなっているようだった。
「病院だよー。和ちゃん、急に熱あがったから、救急車呼んだんだー。でも、すぐによくなって、入院する必要なかったかもねー、ってお医者さん言ってた」
 ベッドが設置されているのは窓際で、よく光が射し込んできていた。もうお昼だ。あれから一晩経ったのか、それとももっと日が経っているのか。
 窓から見える空は、気持ちいいくらいに青かった。
「唯――」
「うん?」
 唯は、起きた私を見てにこにこと微笑んでいる。
 ……唇には、唯にキスされた感覚が残っている。けれど、あまりにもその出来事に現実味がなく、夢だったように思えてきてしまう。
「和ちゃん、もう元気?」
「……ええ、おかげさまでだいぶ楽になったわ。迷惑かけたわね、唯」
「そっか、じゃあ和ちゃん」
「うん?」
「キスしていい?」
「ぶっ」
 思わず吹いた。
 一体何を言い出すのだ、この子は――!
「だって、あのあとすぐ和ちゃん、倒れちゃったから……ひょっとしたら夢なのかな、って少し不安になっちゃって」
「……夢みたいだったけど……夢じゃ、ないのかしら」
 唯も、不安だったのだろうか。私と同じように。
「わかんない。だから、キスしていい?」
「…………」
 沈黙を返す。けれど、否定されたわけではない、と唯は受け取ったらしく、徐々に彼女の顔が近づいてきて――
 ――唇が重なる。濡れた粘膜の感触。もう何十時間も何も口にしていない乾いた体に、潤いが戻ってくる。体が熱くなる。何もかも考えられなくなる。唯しか見えない。唯しか見たくない。唯しか感じられない。唯――
「……ぷはぁっ」
「…………っ」
 唯が顔を離した。やっぱり息を止めていたらしくて、苦しそうな顔だった。
「……えへへ、夢じゃなかったの、かな?」
「……ええ、たぶん……」
 唯の唇の感覚は、眠気が一気に覚めるくらいに鮮烈だった。
 これが夢じゃないのはよく分かった。分かったけれど――
「――やっぱり、夢みたい」
「え? 和ちゃん、まだ寝ぼけてるの?」
「……ええ、そうみたい」
 体がふわふわとして、まるで現実味がない。
 唯が私を好きだと言った。こんな幸せなことが、ありえるのだろうか?
 だから、
「もう一度、確かめさせてよ、唯」
「…………」
 唯は、目を細めて微笑んで。

 そうして――――

* * *

 結局、私は機械になんてなれなかったらしい。

「こんにちは、唯」
「いらっしゃい、和ちゃんっ!」
 平沢家にお邪魔すると、唯が笑顔で出迎えてくれた。
 今日は二人で勉強会だ。受験生の本番は夏休み。ここでどれだけ伸ばせるかが勝負のポイントなのだ。
 唯もようやく危機感が芽生えてきたのか、最近は一人でも勉強するようになったらしい。私と勉強会をしよう、というのも唯から言い出したことだ。
 元から、やろうと思えばできる子なのだ、この子は。
「もう、体は大丈夫? 和ちゃん」
「ええ、もうすっかりよくなったわ」
 靴を脱ぎながら、私は答える。
 ……過労による高熱は、唯のかいがいしい看病もあり、すぐに治ってしまった。何とか終了式には間に合い、無事に夏休みを迎えられることとなった。
 自分の体は何とも現金なもので、悩みが解消されてしまうと、霧が晴れたように快調となった。
 まったく。毎夜のように自責に苛まれていたのが、本当に馬鹿みたいだ。
 リビングに来て、テーブルの前に座り、持ってきた勉強道具を開く。
 すると唯は、数学の参考書を開いて、
「早速ですが、分からない場所があるのです……」
 指をつんつんとして、申し訳なさそうにそう言った。
「はいはい、……ってこれ、一年生の範囲じゃない」
「す、数学って難しいよね!」
 やれやれ、と苦笑する。まあ、以前のような“分からないところが分からない”状態に比べれば、あらかじめ質問を用意している分、数段マシなのは違いないのだけれど。
「いい? ここは、xを代入する位置がポイントで……」
 シャープペンを走らせて、ノートに解法を書く。これくらいは考えるまでもなく解ける。
「おおー。さすが和ちゃん! 機械みたいに正確ですなぁー」
 理解したのかしていないのか、大げさに唯はうんうんと頷く。
 ――機械、ね。
 私は苦笑する。唯はそんな風に私を例えるが、その比喩は間違っている。
 ちらり、と私は横目で唯を見る。
 柔らかそうな、茶色がかった髪。整った目鼻立ち。見ているだけで落ち着く、あたたかな笑み。近くで見ると意外なほど華奢な肩。少し気の抜けた、耳に心地よい声。
 そんな唯を身近に感じながら、私は思う。
 機械だったら、きっと。
 こんな風に、何の前触れもなくこみ上げてくる愛おしさを、きっと上手くコントロールできるんだろう。
 だけど、私は機械なんかじゃなくて、一人の人間だから――

「ね、唯」
「なぁに、和ちゃん?」
「好きよ」
「……えへへ、私も!」
 唯が、頬を赤く染めながら、嬉しそうにそう返してくれた。

 ――一人の人間だから、こんな風に気持ちが溢れ出てしまうのだ。
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